天気の子ほんと好き/愛と恋はこれなんだよ
こんばんは。ニネシンです。
番外編として天気の子の感想と俺の考えです。
天気の子ほんと好きなんですよね。
公開当時、3回観に行きました。
今日で4回目です。
諸事情により途中まででしたが…。
天気の子は様々な要素で好きなんですが、今回は恋愛要素について、
表題のテーマで語ります。
【愛と恋】
この2つについて簡単にまとめます。
以前のブログで述べましたが、愛とは与えるもの。恋とは求めるもの。
穂高や陽菜、凪はお互いの幸せを願っており、そのための行動をしています。
その結果子供だけで暮らしていたり、ビジネスをしたり。
これは愛ですね。純粋なる愛。
そして、
「自分のために願っていい」
「僕たちが確かに変えたんだ」
「大丈夫だ」
「大丈夫になりたい」
に代表される、圧倒的自責と自立。
他者から奪おうとせず、自責で考え、相手も自立していること前提で考え、相手の大丈夫になりたい。これぞ最高級の幸せの願い方。
「自分が相手を幸せにする」、なんて傲慢な考えではなく、「相手は相手で幸せになるけど、その時に、幸せになる理由(大丈夫な理由)になりたい」
また同時に、そんな相手と一緒にいることを求める。
これぞ純粋な愛と恋。美しい。
【ニネシンは愛していないのかもしれない】
改めて見て、俺は世界を犠牲にしてもいいほど好きな人はいないな、と思ってしまいました。
家族でもどうか…。
人類という総体は好きなんですけど、個人の人間でそこまでの感情を引き起こす相手がいないな、と改めて思いました。
その人のためならなんでもできるような人。
首から下が動かなかろうが、全身顔もやけどしようが、アルツハイマーになろうが愛せるし支える事ができる人。
いないですね…。
まあ、そんな風に思える人と出会う為にこれをやってるっていうのもあるんですが。
そこまで相互に思える相手がいること、そんな関係自体、が羨ましい。
…羨ましい、か。求める心ですなあ。
【結論】
物語世界は良いなあ。
物語、フィクションという偽物の世界なのに、俺の定義するところの本物がある。
本物の愛と恋がある。
やはり良いなあ。物語好き。
以上になります。
こんな物語世界の恋愛を体現できるように頑張ります。
欲や恐怖には負けませんよ。
では、【次回こそ】Tinder!(まだまだツッコミ待ち)
ご期待ください。
※抽象的な話ばかりで分かりづらいと思うので、具体を交えた改稿をまたしたいと思います。