童哲のブログ〜25歳彼女いない歴=年齢の真性童貞(略してニネシン)が気ままに(時たま哲学チックに)発信するブログ〜

25歳彼女いない歴=年齢の真性童貞(略してニネシン)が気ままに(時たま哲学チックに)発信するブログです。

25歳彼女いない歴=年齢の真性童貞はネットと内面だけで恋愛ができるか?

どうもはじめまして。 明日この文章修正します。

25歳彼女いない歴=年齢の真性童貞、略してニネシンです。 

全国のニネシンの皆さん(20代ならみんなニネシンですね)、 

あなた方はニネシンMk-Ⅱ〜として生きていってください。 

※2020年12月ごろ、Googleで「ニネシン」が3件しかヒットしないのは確認済みです。 

30代以上の皆さん、おめでとうございます。 

あなた方は魔法使いという、人間を超えた存在へとクラスアップしました。 

これまでもその牙城を守り通していただきたいと思います。 

 
 

前置きはさておき、そんな私ことニネシンがついに動き出します。 

前もって言っておきますが、私は別にDTであることに特段のコンプレックスとかありません。 

むしろ魔法使いになれる可能性が微粒子レベルでも存在しているなら30歳まで貫きたいとも思います。 

 
 

しかし、動き出します。 

DTを卒業したいとかそんな理由じゃありません。 

「恋愛」をしてみたいのです。 

「性欲」や「寂しさ(=恐怖)」等の本能が目的ではなく、誰か特定の個人との「恋愛」が目的なのです。 

(※とは言え本能を排除しきれないのは間違いないのでこの部分はまたの機会に語ります) 

 
 

ということで今回は、 

「なぜ恋愛をしようと思うのか?」 

「というかなんでこれまで恋愛してこなかったのか?」 

 
 

ということに加え、それを説明する為に必要な、 

「ニネシンは恋愛についてどう考えているか」 

についても話して行きたいと思います。 

 
 

では行きましょう! 

 
 

 
 

〈目次〉 

 
 

【恋愛観について】 

■恋愛とは 

◎恋愛観のマッチング 

◎世の中の恋愛 

◎俺の恋愛 

■愛とは 

■恋とは 

■世の中の恋愛とはまとめ 

■俺の恋愛まとめ 

◎バスケ 

◎物語 

◎遊び 

◎文化・芸術・学問・スポーツ 

 
 

■補足 

◎結婚とは 

 
 

【なぜ俺は恋愛をしてこなかったのか】 

■そもそも物心ついたときの価値観 

■中学生の頃の出来事 

■東京都多摩県7年戦争 

 
 

【動き出す俺】 

■なぜ動き出すのか 

■俺と合うんじゃないかな、という方 

◎恋愛観が合う 

◎フィーリングが合う 

◎夢がある/作業デートできる 

◎趣味が合う 

■圧倒的自己開示(内面) 

◎性格 

◎趣味 

 
 

 
 

 
 

〈本編〉 

 
 

【恋愛観について】 

■恋愛とは 

◎恋愛観のマッチング 

 恋愛とは、「恋愛観やその他価値観を有する個人もしくは複数人の間のマッチング、および恋と愛のバランス」である、と私は考えています。 

 はい、そこの「そんなこと言ってるからモテないんだよ〜」って思った方。そんな言葉は聞き飽きました。 

 その言葉は「自分には思考能力と言語化能力がなく、また多様性などクソくらえと思っているので話に付いていけません(可能&意志)」ということを自らアピールしているだけということに本人は気づいていません。 

 企業の採用面接だったらこう言っているも同然です。 

  

 面接官「仕事とはなんだと思いますか?」 

 学生「そんなこと聞くと学生取れませんよ?」 

 
 

 仕事についての意見を持たず語ることすら拒否する人と一緒に働きますか?政治についても、結婚についても、育児についても、同様です。せめて共通理解のある言語を持ってその場に臨むべき、もしくは共通理解をお互いの同意に基づきその場で作って臨むべきです。 

 医者が何の病気かを診療・診断・判断せずに薬を処方しますか? 

 育児とは何か?ということを考えたこともない人と一緒に育児をしますか? 

 もう恐怖ですね。恋愛とは違って他人の人生がかかっているので。 

 
 

 ということで、「そんなこと言ってるからモテないんだよ〜」と思われた方かつ上記にご納得いただけない方、今すぐ「戻る」ボタンでこのページから去りましょう。 

 時間の無駄です。もう面接は終了しました。お疲れさまでした。 

 ※偉そうかつ冷たく見えたらごめんなさい!強く伝える気はないしむしろギャグのつもりだし俺もこれ書くのめっちゃ時間かけてるのでできれば読んでいってくださいお願いします何でもしますから! 

 
 

 恋愛とは、「恋愛観やその他価値観を有する個人もしくは複数人の間のマッチング、および恋と愛のバランス」 

 現状私にとってはこの認識なので、ひとまずこの定義で進めます。 

 ではお次はこの定義における言葉の分解をちょっとします。 

 
 

◎恋とは 

 「求めるもの」だと俺は考えています。 

 家族が恋しい、故郷が恋しい、人肌が恋しい、自然が恋しい、どれも自分以外の他の何かからポジディブな影響を得ようとしています。 

 「(自分以外の他の)何かから、何かを貰う、貰おうとする心の動き」 

 これが恋だと思います。 

 つまりは欲求です。

 ※偶に自分の容姿を鏡でみることでポジティブな感情になったり、思考すること(自分と対話すること)でテンション上がったりする人がいます。こういう人はナルシストの素質がありますね笑。ですが大事なことです。自己肯定感と自己効力感は。 

 ちなみにニネシンはかつてバスケに一方的な恋をし、手酷く失恋しました。 

 
 

◎愛とは 

 「与えるもの、在るもの」だと俺は考えています。 

 家族が愛しい、地元が愛しい、我が子が愛しい、自然が愛しい、どれも愛しい対象から何かを得ようなどとはしていません。 

 むしろ対象の幸せを願ったり、幸せになるように何かをしてあげることでしょう。 

 「(自分以外の他の)何かへ、何かを与える、与えようとする心の動き」 

 これが愛だと思います。 

 この時、見返りは求めません。求めたらそれは恋もしくは求める心です。 

 老婆心、母の愛やアガペーのイメージかもしれません。 

 ※他者だけでなく自分で自分を愛することも、他者を愛する以上に重要だと俺は思っています。自分にあるもの(愛も)しか、他者には与えられません。 

 
 

◎恋と愛の勘違い

 以前、地震の被災地に届けられる過剰な物資やモンスターボランティアの記事を読みました。 

 食料品を送っても、届く頃には交通事情が改善して不要になっている。衣料品・毛布などを送っても、食料の積み下ろしが優先でダンボールが山になっている、余震があるので危険。千羽鶴や寄せ書きを送っても、何の役にも立たない、ただ捨てるだけ、ゴミが溢れる。 

 これら被災地の現状に対し、「せっかく送ってやったのに!無礼なやつらだ!」と憤る人達がいるというのです。 

 こういう人達の行動原理は愛ではないのです。愛があれば過ちには素直に謝罪し、次からは事前にちゃんと調べ、「相手が本当にしてほしいこと、心から喜んでくれること」にフォーカスします。 

 ここで憤るような人達は、相手のことを本気で考えず自身の善意の押し売りをして他者に喜ばれて承認欲求(求める心)を満たしたいだけの、自己満足オナニー人間です。マスターベーションマスターです。こういった、愛と勘違いしている愛のない行動をしている人は、ボランティアと被災者などの関係に関わらず、様々な関係で起こっているように見えます。※親子関係とかね。 

 気づかぬところで自分もしているかもしれません。要注意です…。 

 こういうことに陥りがちな人は、仏教の愛の4類型とか学んだ方が良いかもですね。 

 
 

 ちなみにニネシンは物語を愛しており、その他にも文化・芸術・学問・スポーツあたりの人類の叡智・財産全てが発展してほしいと願っています。ただし、政治・経済・軍事、テメーはダメだ。※補足しておきますと、これら要素はどれも歴史の教科書に載るもの、つまり、後世に本当に残るもの、人類という視点に立ったときに、人類にとって本当に価値のあるもの、です。だから人類の叡智・財産なのです。全て政治・経済活動は、これらを生み出す、残すためのもの、と言っても過言ではありません。なので政治・経済もシステム的には重要です。重要ですが…。現状最善は多く出来上がっていると思いますが、完璧ではありません。また、歴史上は偉大な軍人が数多く名を残していますが、今後は不要です。 

 
 

◎世の中の恋愛 

 恋、愛、恋愛の定義は、(私の中では)、上記の通りです。 

 では世の中の恋愛(パートナー間に限定)はどうなっているかというと、私の目からは、求めることが基本で、恋と愛のバランスが取れておらず、また、「偽物の恋と愛だらけ」です。 

 どいうことかと言うと、この世界には「人格やその人」に対して純粋に恋し愛している人などほとんどいない、のです。 

 
 

 「どんな子がタイプ?」「彼氏の条件は?」という質問に対する回答はこんなのばかりです。 

 可愛い、巨乳、尻がでかい、脚が綺麗、俺よりちょっと顔が悪い子、束縛してこないエロいやつ、、、また、イケメン、身長175〜183cm、年収800万円以上、ITコンサル、六本木に住んでる、プロスポーツ選手、大学偏差値最低65、、、 

 
 

 わかりますかね?恋と愛の対象条件が性欲や恐怖(を取り除くための金)に基づくものばかりなんですよ。 

 他者から幸せもしくは幸せになれると思い込んでいる要素を貰う、奪うことばかり考えているんですよ。 

 人柄や人格に恋をする、人柄や人格を愛することとか考えてないんですよ。 

 もうね、お前ら普段良心と愛がテーマのマンガ読んでるやん!ディズニーとか行くやん!なんでそうなるの!?って感じです。 

 
 

 まあ子供の頃からおかしいんですけどね。 

 「あのクラス可愛い子多いよな」「好きな子?〇〇ちゃん。可愛いから」「〇〇君好き!足が速いから」「〇〇君カッコいい」 

 え、だから何?可愛いと好きなの?足が速いから好きって何?ウサイン・ボルトに突然プロポーズされたら秒速で受けるの?お前奥さんいるけど白石麻衣に迫られたら離婚すんの?わけわかんねえ……ちょっと大人の世界に戻ってきてしまいましたね笑 

 
 

 要はこれが「価値観」の部分ですね。「可愛さ」や「金」など何かしらの物差しがあるのです。それを恋や愛と錯覚している。もしくは人柄や人格に対するべき恋愛のフィールドに持ち込んでいる。 

 俺はこれ、違うと思うんです。

 

 

◎求めても、満足はしない

 ただ、その物差しは幸せになるためのもの(だと思い込んでいるもの)なのに、実は逃れられない恐怖を伴うものなのです。 

  だってそうでしょう。求めている本当の根本は恐怖からの解放や安心や愛であるはずなのに、それを実現できる(と思い込んでいる)他の物差しに、手段と目的がすり替わっているのです。 

 そうなるとどうなるか。ここに、性欲の充足が目的になりさらにそれを達成する手段として年収1000万円という武器を持つ男性がいて、また、お金が目的になりさらにそれを達成する手段として良い顔と体を持つ女性がいるとします。 

 需要と供給が合致していますね。最初はうまくいくでしょう。 

 ただ、うまくいき続け、偽物の物差しを手放し、本当の愛に気づき昇華しない限り、破綻します。 

 なぜなら世の中、ある物差しを取り出した瞬間、上には上がいるからです。(そして下には下がいます) 

 
 

 さらに、求めるだけの心は、やがて飽きます。 

 本当の愛は普遍ですが、求める心は飽きがきます。 

 男はより美人か、ちょっと美人にすぐなびきます。女は年収2000万の男が現れれば心変わりします。 

 で、自分だって持ち込んでいる物差しがオカシイのに、相手を非難するのです。 

 大体こんなのばっかですね。 

 『自分の中に毒を持て』で岡本太郎がこんなことを言っていました。「”本当はこっちの人が好きなんだけど、社会的には偉くなりそうじゃないし、あの人と結婚すれば、将来の生活は安心だから…”などというのは極端に言えば一種の売春行為だ」 

 比喩としては間違っていないなあと俺は思いました。売春の何が悪いのかがあまり自分の中で判然としていなかったので(社会一般の倫理的には悪いこととされている。理由はわからんが)、そこまで響きませんでしたが喩えとしてはなるほどなあと思いましたね(そして、売り手あるところに買い手あり、買い手あるところに売り手あり) 

 
 

 そしてこの、これら相手への物差しがあるだけマシという。 (いやまあ相手じゃなく物差しを向いていると言えばそうでもあるんですけどね) 

 なぜなら一応その人を向いているから。(俺の場合はもし仮に俺が10億円持っていたとして、それに対して心を向けられても何も嬉しくないのですが…世の中の人はそうでもないみたいなので驚きです) 

 
 

 さらにさらにやばいのは、これら価値観がパートナーでもない人に向いている場合です。 

 仲間内で、年収600万以上のイケメンの彼氏がいないと見下される・仲間と認められない・承認されない、だから付き合っている。仲間内でどれだけ可愛い彼女がいるか、彼女がいつつどれだけイイ女とヤれたかが集団内のステータスになっている。 

 最低限の心すら目の前の人を向いていない。どれだけ酷い人格否定行為なのか。それにすら気づかず承認欲求の奴隷になっている。もしくは開き直ってファッション・アクセサリー感覚でパートナーとの関係を続けている。 

 こういう人たちは本当に酷いと俺は思っています。(お互いに利用しあっている合意が取れているならいいんですけどね) 

 
 

 そして一番やばいのは、純粋な本能(性欲・恐怖)に基づいている人達です。 

 目線が自分にしか向いてない人達です。 

 どういうことか。 

 どんな価値観もどうでもいいから誰でもいいから、とりあえずセックスしたい、寂しさを紛らわして欲しい、そう思っている人達です。 

 
 

 誰でもいいとはとんでもない、セックスするなら可愛い子が良い!彼氏にするならイケメンが良い!、と言う方、それは後付けで根本は本能です。 

 まず本能があり、それを満たすにあたって、よりマシな相手が良いと言っているだけです。 

 
 

 恋に恋している人達もここに入りますかね。微妙なところです。 

 恋=自身に快楽をもたらしてくれる良いもの、という価値観があって、それに基づいて行動している人達です。 

 恋ができるなら誰でもいい、(好きになった)人ありきではなく、恋をしたいから人を好きになる、という行動原理だけの人です。 

 
 

 この手の本能に囚われてしまっている人を簡単に見分けることは簡単です。 

 「彼女欲しい」「彼氏欲しい」と言っているかどうかです。 

 これは「寂しい」「ヤりたい」と同義だからです。 

 ちゃんと考えている人は少なくともこう言います。 

 「パートナーがいたらいいな」 

 
 

※これらは全て「私はこうだ」「私はこう考える」「私ならこうする」という話であって他人をどうこうするつもりはありません。マッチングなので、私は「合う(マッチする)方」を探せばいいと思います。同様に利害関係が一致しているならば、「顔が良ければ他全て許せる者どうし」「私は金を提供、あなたは体を提供」みたいなのもアリだと思います。マッチしてますね。 

 
 

  

◎俺の恋愛 

 もうここまででなんとなくわかりましたかね。 

 でも誤解がないようにご説明いたします。 

 
 

 俺の恋愛、俺にとっての恋愛は、 

 まず、以下の定義から成り立ちます。 

 「恋とは、求めるもの」 

 「愛とは、与えるもの、在るもの」 

 「恋愛とは、女性との恋愛観やその他価値観のマッチングであり、特に、俺にとっては恋と愛のバランスが取れたマッチング」(パートナー間における場合) 

 
 

 ※ちなみに、俺の対人間に対する物差し(価値観)とは、ほとんど「人格・人柄」しかありません。見た目や金銭、社会的ステータスといった物差しではほとんど人を見ていません。 

 そしてこの「人格・人柄」物差しにおいては上には上がいて、下には下がいる、という状態は当てはまりません。なぜなら三者三様、十人十色、千差万別、みんな違ってみんな良い、からです。 

 人柄に上も下もありません。田舎で自然と触れ合いながら農業をしている人と、東京で日々市場価値を高めようと自己研鑽している人、どちらが上でどちらが下ですか?人柄には上も下もありませんよね。あるとしたら、それは人柄という物差しではなく別の物差しを当てはめています。自然との共生という物差しで見れば田舎の人に軍配が上がりますし、生み出す経済的付加価値という物差しで見れば東京の人でしょう。様々な物差しに当てはめれば上下は決められます。しかし、「人格・人柄」という物差しには上下はありません。※ストレングス・ファインダーの個別化みたいなものですね。 

 そこにあるのは上・下ではありません。合うか・合わないか。合う人とは仲良くなれますし、合わない人とは愛を持って距離を置く。少し離れたところからその人の幸せを願う、それでいい。無理に仲良くなる必要もない。 

 
 

 これまで述べた定義に照らし合わせた場合、恋、愛、恋愛は、パートナー間だけに限りません。 

 今まで俺は、様々なものに対し、恋し、愛し、また恋愛をしてきました。 

 バスケ、物語、文化・芸術・学問・スポーツ、人類、などなど。 

 
 

 ただ、一人の個人、女性に対し恋愛をしたことがないんですね。 

 これに対し「なぜなんだろう」と考えた結果、上記のようなことを考えてきたわけです。 

 結論、「恋に落ちない」が恋愛をしてこなかった理由です。 

 なんで恋に落ちないのか? 

 それは、上記のような恋と愛に対する考え方が合う方と出会ってこなかった/人間に対する価値観が合う方と出会ってこなかった/もしかしたらこのような考えや価値観を持っていたかもしれないが、それを信念や人生哲学にまで昇華し、行動において実践し、貫いている方と出会ってこなかった…からだと思います。 

 
 

 なんかみんな非常に反応的で本能的なんですよね。 

 目の前に野菜があるから持って帰る、みたいな。無人販売所だとしても。 

 そういう非理性的な、エゴだけの行動をするのなら、昆虫とか動物、カマキリでもトカゲでも豚でも牛でもできますよね。 

 その人なりの、人間としての信念みたいなのがなくて、どうにもその人と接していたい(=恋している状態)と思わないんですよね。 

 
 

 俺とは価値観が合いませんが、死ぬまでに1000人の女とヤると言って今200人くらいの男とか、相席屋で奢ってくれた男に求められたらとりあえずヤることにしてる女とか、そういう人の方が貫いているものがあって魅力的に俺には見えるんです。(接触頻度は少ないですが二人とも俺の友達です笑) 

 
 

 先日、人格・人柄は自立した人間にしか生まれ得ない、という言葉を目にしました。 

 動物的本能に反応的な人、他人の金銭や容姿に依存的な人、こういう人は自立しておらず、故に自分で自分を愛し満たしておらず、故に他者に愛を与えることはできずただ貰い、奪うだけ、、、こういう人に魅力を感じられないんです。 

 
 

 あと、愛の覚悟がない人に対しても恋に落ちれないっぽんです。 

 要は遊びの人ですね。 

 別に俺はクリスチャンじゃないですが、「幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか? 」みたいな言葉あるじゃないですか。 

 この言葉の意味を初めて理解した時(小3くらだったかな)、同意できたし、素直に直感でそういうものだと思えたし、大事にしたいと思えたんですよ。 

  

 で、その後中1にもなる頃には色々と学び、直感だけでなく言語化、具体化できるようになったわけですが、その頃からの理解は「笑ってるときも、泣いてるときも、お金があっても、なくても、事故で首から下が動かなくなろうが、火事で全身顔まで焼けただれようが、アルツハイマーになって何もわからなくなっても、愛し合い助け合う」というものになりました。やけに具体的ですよね笑。完全にテレビでやってたドキュメンタリーの影響ですねおそらく笑。※言語化・具体化しただけであって、直感の部分は小3の頃から変わらないです。 

 賢者の贈り物の世界観ですかね。 

  

 世間の人はすごいと思うんです(皮肉)。 

 これだけの覚悟感を持てる相手がポンポン出てくるんですよね?信じられない。 

 で、結婚して、この言葉を多くの人が誓い、結構な割合の人が3年位で離婚するんですよね?信じられない。すごい(皮肉)。 

 
 

 そもそも結婚までしてなくても、上記の誓いの言葉を裏切る行為とされている行為(ニュースや世間でよく話題になる、離婚原因の不倫、浮気。要はパートナー以外の人間とのセックスですね)ができる相手がポンポン出てくるのがすごいです。世の中の人はそれだけの相手とそれだけ出会えているというのが羨ましい(皮肉)。 

 いやね、こんな誓いの言葉みたいな価値観なんて持ってない、って言うなら何も問題はないんですよ。それこそ、1000人とセックスする!みたいな価値観なら。でもそうじゃない、どちらかというとこの言葉みたいな価値観のくせして自身の行動は真逆、という部分がどうにも気持ち悪くて。矛盾を孕んでいるのが人間、といえばそれまでなのですが、それにしては矛盾に苦しむ心や貫こうとする信念、自律心があるのか疑問に思っちゃうんですよ。ちゃんと考えてんのかな?って。 

 よっぽど1000人とセックスする、という信念を持っている人のほうが魅力的です。※比較しないと伝わらない人のために比較してるっぽく書きましたが、こいつマジで魅力的ですからね少なくとも俺にとっては。人柄・人格は比較する意味がないですからね。繰り返しですが、みんな違ってみんな良い。ただ、俺とは価値観が合わないだけ笑。 

 
 

 あと蛇足ですが、「生涯のパートナー以外の人とセックスしたことがある人」に対して、「男女交際・結婚したら自身とのセックスのみを求める」って意味わからないですよね。いや、求めるのは勝手なんでお好きにどうぞ、って感じなんですけど、実現可能性は考えているのかな、って。 

 例えるなら、色んな人に10万円借りまくっては踏み倒しまくってる人に、「絶対返すから10万円貸して!」って言われて、それにあなたはお金を貸すかどうか?という話ですよ。相手は「借金を踏み倒しまくってる人、お金を返さない人」ですよ? 

 そもそも最初の一回目で貸さーよ!って方、その通りです。そして、また、貸した事ある人は、「お金を返さない人にお金を貸した人」です。 

 …さておき、この比喩で貞節的なことを求める無意味さがわかりますかね。少なくともニネシンがどう考えているかは伝わりましたかね。共感できるかはさておき。 

  

 この点はぜひ皆さんの意見・価値観を聞きたいですね。 

 こんなことを飲み会の席で、女性がいる場面で言おうものなら確実に総叩きに合うので笑。おそらく冷静な対話など望むべくもなく、感情的に本能的に全身全霊を持って否定されると思われるので笑。それくらい空気を読むことを強要され続けてきた純粋ジャパニーズたるニネシンにはわかります。なので中々他人に伝えたことがないんですよ。飲み会の席とかでは一度もないです。 

 
 

 ちなみに、冷静にこういう話ができる一部の友人にこのことを話すと、俺が童貞であると知っているという情報と合わせて、処女厨と言われるんですが、自身ではあまりその意識がないんですよね。人間として言っていることが信じられるか、信用できるか、信頼できるか、を考えているだけであって。あと、間桐桜とか大好きなキャラですし。闇の中でこそ光は輝く、みたいな。彼女の周囲と境遇が暗いからこそ、その中で一途で純粋な部分が鮮明になる。 

 それに、一度やってしまったことで全てがダメになる、なんてことはないと思っているんです。ジャン・バルジャンのように。心の底から過去を後悔し、懺悔し、反省し、未来に信念を持ち、決心したならば、その人は生まれ変わるんですよ。24601から本来の自分を取り戻せるのです。悪に強ければ善にも強し。私も過去数多くの過ちを犯してきました。後悔し、懺悔し、反省の人生です。でも、他人や環境のせいにせず、自身のことを省みて、現在を、未来を生きられるなら、その人は信じられると思うのです。なぜなら、今もしもまだまだ未熟でも、自責し改めていけるなら、いつかは良くなるからです。他者を恨むのではなく、自身の影響の輪の内側にフォーカスしましょう。 

 愛の人であるナウシカだっていっときの激情に身を任せ人を殺め後悔します。況や、我々凡人だったらをや。恋愛に関係なく、暗闇の中にいると思っている人達はナウシカのこの言葉を思い出しましょう。「いのちは闇の中のまたたく光だ!」 

 
 

 話が大幅に脱線しました… 

 まあ、まとめると、世間一般風に言えば、俺は愛が重い、になるんだと思います笑 

 でも、俺は「重い」には2つあると思っています。 

 恋が重い、と愛が重い、です。 

 前者は「土日も平日もずっと一緒にいてよ」って言う女性に対し、男が思うやつですね。 

 後者は覚悟感のことです。覚悟がない人には重いのでしょう。 

 そもそも死が二人を分かつまで、なんてヌルいんですよ。相手がブラジルにいようが、あの世にいようが、関係ありません。愛は不滅です。どこにいようが、相手の幸せを願うことができるのです。なぜなら、在るもの、与えるものだから。己の中に愛が在るのです。 

 アインシュタインの言うように愛は宇宙を支配しかつ宇宙に含まれておりあらゆる事象の背後にあるものなのです。己の中以外にも、愛の光があるのです。まるでフォース。 

 ただし恋は終わります。求める心だからです。失恋をします。それでまたフォーリンラブ、恋に落ちたりします。愛を失う、とか、愛に落ちる、とか言います?普通は言わんでしょう。何か特殊な場合言いそうですが。もしも言ったとしても、逆説的に、失うようなものだったならば愛ではなかった、ということが言えますね。少なくとも私の定義に照らし合わせれば。 

 
 

 愛憎という言葉がありますが、私の定義的には恋憎ですね。一方的な期待や信頼(求める心)を裏切られるから憎しみが生まれる。憧れは理解から最も遠い感情です。自身の中にしか存在しない対象のイメージに対する一方的な期待や信頼はやめましょう。芦田愛菜さんが言っていたじゃないですか。「その人の見えなかった部分が見えただけ」。そうじゃないと、遠からずダークサイドに落ちますよ。愛をもって恋をするのです。 

 海外の、非日本語における、「Love is over」とか、表出した言語としてではなく、潜在意識としてどういう意図で使っているのか気になりますね。恋と愛の分類がない言語において。神の愛もあれば隣人愛もあればセクシャルなラブも終わるラブもある。仏教の4類型は愛という言葉を使わないだけに、特にインド=ヨーロッパ語族的な(?)愛の使い方が気になるところです。恋という概念はあるのかな? 

 
 

  

【ここまでまとめ】 

■世の中の恋愛とは 

◎人格や人柄に対し恋愛をしていない:お金や見た目など、自身にある価値観・物差しに基づいて、欲求を満たすもの、恐怖を取り除くものに対し恋し(求め)、愛し(与え※自身の時間や金銭などを)、ている。 

◎その価値観すらパートナーに向いておらず、周囲の他者に向いている人がいる。 

◎価値観もなく他者に何も向いておらず、自身にしか何もかもが向いていない人もいる。特に本能的な人。 

■俺の恋愛まとめ 

◎人柄・人格に対してお互いに恋愛したい:他人に対する物差しが人柄・人格。 

◎恋に落ちれない:欲しくなる(一緒にいたいと思える)人がいない。信念・覚悟がない人には惹かれないみたい。 

◎バスケ:付き合って5年目に手酷くフラれるも、本当の恋を取り戻し、また愛し続けて15年。遠くから見守る負けヒロインを演じる。 

◎物語:身近にあったが本当の良さに気付かされてから11年。まるで幼馴染キャラ。 

 

 
 

【なぜ俺は恋愛をしてこなかったのか】 

ということで他責にせず自身を振り返ります。 

■そもそも物心ついたときの価値観 

■中学生の頃の出来事 

■東京都多摩県7年戦争 

 →めちゃ長くなったのでまた今度で…

 
 

【動き出す俺】 

■なぜ動き出すのか 

 ここまでのまとめは以上です。 

 では、なぜこんな文章を書いて、世に出しているかと言うと、ついにニネシンが動き出すからです。端的に言うと、パートナー探しを始めます。 

  

 なぜ始めるのか? 

 それは、まあやっぱり、恋愛、それも俺が定義するところの恋愛を、してみたい、ということですね。 

 今までは諦めていたのですが。 

 このインターネット全盛時代、広く発信すれば白いカラスも見つかるんじゃね?ということですね。 

 ※なぜ諦めていたのかはまた自分語りします笑。 

 
 

 思ったんですよ。数々の物語を見ていて。 

 あ、俺やっぱ恋愛したいわ、と。 

 素直な心を認めたわけです。 

 ※俺は物語全般好きで、小説やドラマ、ミュージカルも好きなんですが、特に好きなのはマンガ、ラノベ、アニメ、映画です。マンガは所有している冊数だけでも4000冊、ラノベは1000冊くらいはあります。まあ100段階で言って、普通の人が50だとすると、戦闘力78くらいの物語度なのではないでしょうか。知らんけど。 

 
 

 なんですかね、なーんか、パズルのピースみたいな関係に憧れがあるんですよね。理解から最も遠い感情だとしても。 

 キリトとアスナレントンエウレカ、ティファとガロードシーブックとセシリー、パズーとシータ、みたいな。※伝わらない人ごめんなさい…! 

 カチッとハマってる感覚、というか。二人共自身の形、心のあり方は違うんだけれども、その凸凹がピタッとハマっている感じ。いや下ネタじゃなくて。 

 1+1が2にも3にも10にもなる関係に惹かれるというか。自然界(ミツバチと花、アブラムシとアリとか)やチームワークのような、相互関係がより大きな効果をもたらすもの、みたいな。

 まだまだここは言語化が甘いかもです。

 化学的に言ったらセロトニンオキシトシンをお互いに分泌させることができる関係、とかになるのかなあ…。

 
 

 まあ、結局はある種恋に恋しているっていう事かもしれません。あと愛の欲求と、承認欲求、性欲か。 

 それに、パズルのピースみたいにある程度ハマる男友達が軒並み彼女作って俺と会ってくれないんですよね笑。彼らとの付き合いが変わらなければこんな文章公開しなかったかもしれません笑。いや男友達の代わりみたいな言い方で申し訳ないんですが。 

 あと、その男友達数人のことは、この世のどの女性よりも仲がよく好きなんですが(俺の女性の知り合いが少ないだけ笑)、やはり熱烈な、もしくは性的な恋心は抱かないんですよね。哲学的な会話してえ〜、とかはあるんですが。改めて性欲の介在を実感させられます。女の子好き。 

 
 

 少々脱線しましたが、結局これが、恋愛要素が好きで物語見てる部分大きいな、と思って。現実世界で満たされない代替行為の面はあるな、と。ならこの世界で「本物」を目指してみようと。 

 まあ、目指してみて、ダメだったら本当の意味で諦められるし。人と接することができる潜在的数量が現状一番多いインターネットでダメだったら、ね、諦めもつきますよ。 

 この世界にはやっぱりなかった、少なくとも俺が触れられる距離にはなかった、俺が手に入れられるものではなかった、物語の世界にしかなかった、と。 

 やってみて、ダメだった。それで爽やかだ。 

  

■俺と合うんじゃないかな、という方 

 ということで、俺の周りには一切いない、こんな考え(↑)をしている人間と合う方、こんな考えの俺と付き合ってもいいよ(そんなこと言ってるからモテないんだよ、キモい、と言わない方笑)を探し始めます。じゃあ、合う要素は何なのか?を以下言語化してみました。 

 
 

◎信念がある 

 一番の核はここですかね。女性としてとかじゃなくて人間として、の部分なので。 

 なんでも良いんですよ。自分なりに考え抜いて、もしくは自身の心の奥底からの直観に従って、それを保持しているなら。男1000人とセックスしたい、でも、年収1億の男と付き合う、でも、絶対にピアニストになる、でもなんでも。本当に考え抜いた、or、心の底から、そう思うなら。世の中の価値観がお金が大事、というものだからそれに従っている、とかじゃなければ。 

 自身の価値観で動いている人、ですね。 

 
 

◎恋愛観が合う 

 次はまあここですよね。これだけ文量を割いてきたのですから。 

 ここが合ってくれると嬉しい!!…んですが、上の「信念」みたいに、俺のこれまで語ってきた恋愛観を認めてくれて、それもアリ、と言ってくれるだけで十分です。つまり、「理解はしたけど共感はできない」、でも良いのでせめて理解と承認はいただきたい、というところですね。 

 
 

◎フィーリングが合う 

 上の2つは言語化しているかどうか、みたいな、理性的要素が大きいと思うんですが、やはり人間、感情・直感(本能)の部分も大事です。 

 ここも言語化できるっちゃできますが、主観的な要素が強すぎます。 

 会って初めて分かる、お互いに流れる時間の速さの違いとか、感情の上下の仕方とか、テンションの高さとか、笑顔の頻度とか、目を見る回数とか、無言でいて苦痛でないかとか、一応言語化できるっちゃできるんですが、結局は会わなきゃわからない。話さなきゃわからない。 

 まあ40年とか一緒にいれば溶け合っていくものらしいですが。違いすぎていると当初はストレスなんだろうな、と想定がつきますね。俺の方はそのストレスを受け入れる覚悟があるんですが、どうでしょう。どうなるかは経験がないのでわかりませんね。 

 一目見て、「無理!」ってこともあるんじゃないかな。俺はそう感じたことのある人間がいないのでわからんけど。 

 俺だって、上で少し書いたように、知人のどの女性よりも仲の良いはずの男友達でも、恋を感じないんですよね。女性が俺を見て、何もピンとこない、恋できる、愛せる、可能性皆無、ってこともあるでしょう。 

 というよりそもそも、「25歳彼女いない歴=年齢の真性童貞」ということを鑑みれば、その可能性の方が高いまでありますね笑。この事実には、「俺が相手に何も感じない」だけじゃなく、「相手が俺に何も感じない」という要因もあるはずなので。人の脳内は見えないのでわかりませんが。まあ間違いなく誰にでもありますよね。 

 これはもう、試行回数の領域ですね。 

 
 

◎夢がある/作業デートできる方 

 大それたものじゃなくて良いのでやりたいこととかがある方だと良いですね。 

 何が良いって、生活リズムが合いそう、という意味でですね。 

 当然、常に作業デートしようとかじゃないですよ。ただ、常に消費的娯楽だけをしていたい、という人だと、自分はそうではないので、過ごす時間が異なってしまいそうですね。 

 このブログの執筆もせっかくなので続けたいので。 

 つまり、恋と愛のバランスが崩れる可能性があるならば、避けたいということです。 

 どちらか一方の恋だけが大きくなりすぎる、ということは良くないかと。 

 まあ、愛があれば問題はない、と言えるのですが。 

 
 

◎趣味が合う 

 俺の趣味は大きく3つあります。それが似通った人だと価値観が近いと思われるので、恋愛観以外の価値観も近いとまあ、過ごしやすいんだろうな、と。 

 で、その3つとは、①バスケ、②物語、③遊び・娯楽、です。 

 具体的には、 

 ①バスケ:2週間に1回はやる。NBA好き。美学はアシストパスとスリーポイントマジック・ジョンソンを信奉し、カリーとクレイに熱狂した14-15シーズン前後。 

 ②物語:マンガ、アニメ、ゲーム、ラノベ、ドラマ、ミュージカル、映画、小説、他人の人生、などなど。 

 マンガは4000冊、ラノベは1000冊、アニメ・映画多数、ミュージカルそこそこ、ゲーム・ドラマ・小説ちょこっと、てな感じです。 

 好きな作品3つずつ出すと、 

 マンガ:風の谷のナウシカ宇宙兄弟、最近はアオアシ 

 アニメ:交響詩篇エウレカセブン、俺ガイル1期、PSYCHO-PASS1期 

 ラノベ:SAO、俺ガイル、無職転生 

 映画 :ロード・オブ・ザ・リングアポロ13踊る大捜査線2 

 ミュージカル:コーラスラインエリザベート、最近はアラジン! 

 ③遊び・娯楽:美術館、博物館、科学館、ボドゲカフェ、ボウリング、ビリヤード、ダーツ、卓球、カラオケ、麻雀、将棋、YouTube他動画サイト、などまあなんでも。 

 って感じの①〜③ですが、大体のことに興味があるので、まあどんな趣味の方でも、俺の方は合わせられると思いますね。ただ、多くの人が趣味とする、見た目だけしか知らないアイドルや俳優に熱狂する、というのは難しそうです…笑。芸能人とかほんとわからん。 

 
 

【最後に】 

 ということで、こんな恋愛観でこんな価値観でこんな趣味の俺が、合う方、マッチする方を探し始めます。 

 合いそうだな、って方いたらぜひ!TwitterのDMとかでご連絡ください! 

 また、これを読んで何か思うところがあった方はぜひご意見・ご感想いただけますと幸いです!内容は本当になんでもオッケーです。強い口調の弱く見えるやつはミュートするので大丈夫です! 

 そして、このブログorTwitterだけじゃなく、インターネットのどこかで出会ったらよろしくおねがいします!インターネットのネット(網)を広げていくつもりなので!できるだけ多くの人にリーチしたい! 

 では、次回予告をして終わります! 

  

【次回】Tinder 

 
 

 ご期待ください! 

 (↑ツッコミ待ち…) 

 

※冒頭書いたように、この文章は的なことをしていないので、修正する可能性があります。